「時代を仕掛けた2010年物故者たち」補遺のようなもの(2)

 以下、前回、あるいは昨日付のこのエントリの続き。
 昨年末の「時代を仕掛けた2010年物故者たち」では、常田久仁子コント55号時代(1960年代)の萩本欽一に対して、「テレビは女の人が見てんの。女はね、いくらコントがおもしろくても、汚いかっこしてると見てくれないわよ」とアドバイスしたというエピソードをとりあげた。この出典は、『萩本欽一自伝 なんでそーなるの!』。

なんでそーなるの!―萩本欽一自伝

なんでそーなるの!―萩本欽一自伝

 同書ではまた、萩本が次のような常田の言葉を紹介しながら、テレビに出始めた頃を回顧している。

「もう、お笑いの人って信じられない! おはようってあいさつするとき、なんでみんなお尻触ったりするの? あんただけだよ、それをやらないのは。テレビは女の人に嫌われたらおしまいなんだから、これからもそういうことはしないで、なにもかもきれいにしなさい。夜九時台の番組にお笑いがないのは、コメディアンがきたないのでスポンサーがつかないからなの」
 そんなことも言ってました。女性に対して妙に慣れ慣れしくしたり、シモネタを言ったりするコメディアンを、常田さんは苦々しく思っていたみたい。もしあの番組[コント55号が初めてレギュラー出演した『お昼のゴールデンショー』――引用者注]で常田さんに会わなかったら、コント55号はもっと殺伐とした過激路線を突っ走っていたんじゃないかな。(中略)そういう意味では、ほんとに常田さんが「欽ちゃん」の産みの親ですね。

 萩本は1970年代に入ると、コント55号から個人での活動に移行する。拙稿「放送作家のあがり方」でも書いたように、萩本は放送作家集団「パジャマ党」とともにラジオ番組『どちらさまも欽ちゃんです』を手がけ、その1コーナー「欽ちゃんのドンといってみよう」は、やがて『欽ちゃんのドンとやってみよう』というテレビ番組へと発展することになった。このテレビ化に協力したのがフジテレビの常田だった。
 当初は特別番組としての放映ではあったものの、萩本は夢だった「自分の名前をつけたテレビ番組」を実現する。その後、萩本は同番組をレギュラー番組にしたいと思い、売り込みをはかった。しかし最初に売り込んだ先はなぜかフジテレビではなく日本テレビだった。これを聞きつけた常田は怒って、休暇中のヨーロッパから電話をかけてきたという。
 「あんた、私が作ってあげた番組を日テレに売り込んでるそうだね? とんでもないやつだ! 私がフジでレギュラー番組にするから、よその局へもってくんじゃない!」(萩本、前掲書)
 こうして、『欽ドン』のレギュラー化もまた、常田の手によってかなえられることになったのである。コメディアンの名前がついたレギュラー番組はこれが日本で初めてだとされる。
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 萩本は『欽ドン』が成功して以降、テレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』をはじめ、各局で冠番組を持つことになった。この『欽どこ』に対抗心を燃やしたのが、当時TBSのディレクターだった久世光彦である。久世は、『欽どこ』と同じく水曜9時台に、「水曜劇場」というドラマ枠を手がけ、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』というヒット作を生んでいた。ただ、脚本家の向田邦子とのコンビによるこれら作品のような「人情コメディ」に、久世はそろそろ飽きてきていた。
 そこで久世は、「人情コメディ」からの飛翔をめざし、《いままで培ってきたホームドラマのノウハウと独自に切り開いてきたバラエティ的要素を奔放に展開できる場を作ろうと》考えた(小林竜雄『久世光彦vs.向田邦子朝日新書、2009年*1)。そのため、脚本家も向田のようにセリフの一つ一つを大切にするのではなく、もっと久世の注文に柔軟にこたえられるような若手が何人もそろえられた。アングラ劇団「68/71黒色テント」(現「劇団黒テント」)の座付作家だった山元清多(2010年9月12日死去)もその一人である。こうして新たな企図のもと制作されたのが『ムー』(1977年)で、翌年にはその続編『ムー一族』も放映された*2
 『ムー』『ムー一族』には、『時間ですよ』『寺内貫太郎』に続き、樹木希林も出演しているが、先述の山下は、「劇団黒テント」の前身の一つである「六月劇場」に、樹木やその前夫の岸田森らとともに参加していた。
 『ムー』シリーズの関係者では、山下のほか、ドラマの舞台となる東京・新富の足袋屋「うさぎや」の店主の母を演じた南美江が昨年8月6日に亡くなってるほか、『ムー一族』で店の立ち退きを迫るチンピラを演じた細川俊之もきょう訃報が伝えられた。謹んでお悔やみを申し上げたい。

久世光彦vs.向田邦子 (朝日新書)

久世光彦vs.向田邦子 (朝日新書)

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 テレビドラマの脚本家としては、NHK連続テレビ小説『はね駒』などのヒット作がある寺内小春(5月12日没)、同じく連続テレビ小説で『雲のじゅうたん』『ロマンス』を手がけたほか、大河ドラマでも大ヒットとなった『武田信玄』をはじめ『信長 KING OF ZIPANGU』『徳川慶喜』と複数の作品がある田向正健(3月5日没)も昨年亡くなっている。

*1:同書については、「日経ビジネスオンライン」にて書評しているので、参照されたい。「『テレビの生きる道』を歩んだ男と女〜『久世光彦vs.向田邦子』」(「日経ビジネスオンライン」2009年3月27日)。

*2:『ムー』『ムー一族』は、先の書評を書くにあたり、DVDで初めて見た。そのときの感想は当ブログでも書いた→「『ムー一族』に垣間見えた近田春夫の批評性」(「Culture Vulture」2009年3月27日)