『AERA』の表紙に綿矢りさ登場。まああの表紙モデルに抜擢されるのは、当世“文化人”の出世すごろくの一つの通り道みたいなものだから、だいたい予想はついていたけれども。
ところで作家の肖像写真が世間に流通し始めたのって、一体いつごろなんだろうか? ふとそんな疑問を抱き、書棚から久々に紅野謙介の『書物の近代』(ちくまライブラリー、1992年)*1を取り出す。ひょっとしたらこの本になら何か書かれているのではないかと思ったからだが、案の定「侵入する肖像写真」という一章があり、さっそく読んでみると、意外な事実が紹介されていた。どうも作家としてその肖像写真が世間に流通されたのは男性作家ではなく、女性作家のほうが先らしいのだ(ぼくはてっきり坪内逍遥や二葉亭四迷あたりだろうと思っていたのだが)。その具体例として紅野があげているのは、1895年12月に発行された『文芸倶楽部』といういまでいえばグラフ誌的な雑誌の臨時増刊「閨秀*2小説」特集である。同号には『十三夜』を寄せた樋口一葉をはじめ若松賤子、田沢稲舟、小金井喜美子*3ら集められた女性作家たちの肖像が掲載されたという。
男性作家にその例はなく*4、文学者の肖像はまず女性作家に対する関心から立ち現れた。「顔」を眺める対象として、男性読者の、あるいは男性のまなざしを先取りした女性読者の好奇の視線の下にさらされることを目的として登場したのである。
(紅野、前掲書)
この『文芸倶楽部』という雑誌には芸妓たちの肖像写真も掲載されており、これについて紅野謙介は、人々の欲望の視線の向かう先にあった芸妓(いまでいえばグラビアアイドルみたいなもんだろうか)と「閨秀」作家という《組み合わせこそ、写真史の一ページを飾る事件だと言えよう》と指摘している。
それにしても、初めてその肖像が人々のあいだで流通した文学者だとされる樋口一葉が、紙幣の肖像(なお例の『文芸倶楽部』の特集に掲載された一葉の肖像写真は、新紙幣の肖像のもとにもなったあの有名な写真である)として新たに流通しようとしているまさに今年、そのアイドル的ルックスによって綿矢りさという作家が注目されるとは、ちょっと因縁のようなものを感じる。少なくとも彼女に向けられる視線は、樋口一葉や、あるいはその同時代の芸妓たちに向けられた視線とあまり変わらないのではないだろうか。