マラソンという競技の「二極化」?

午前0時スタートのアテネ五輪・女子マラソンのテレビ中継に釘づけになる。丘陵や市街地でも立体交差を何度も上ったり下りたりする、とにかく起伏の激しいコースで、よくこんなコースをつくったものだと思わず感心してしまった。
ところでぼくは今年年頭に、これまで「世界最高記録」としか扱われなかったマラソンなどのロード競技におけるレコードが、トラック競技と同様に「世界記録」として認められることになったとのニュースを受けて、今後は記録が出ることを優先するべく、オリンピックも含めてマラソンコースの平均化(平坦化といってもいいだろう)が推進されるだろうと、いささか性急な結論を出してしまった(id:d-sakamata:20040102#p1)。しかし今回、アテネ五輪での女子マラソンを見て、その考えを少し改めねばならないと思う。おそらく今後マラソンという競技で起きるのは、新記録を出すことを目的とした「記録更新型」と、難度の高いコースをいかにしてほかの競技者より先にクリアするかということが主たる目的となる「難度克服型」(あるいは「順位優先型」?)という二つのタイプへの分極化ではないだろうか。後者が従来通りのマラソンの形態であるのに対して、いわば前者はトラックをそのまま競技場の外へ延長させたような平坦なコースで行なわれるという点で、マラソンと呼ぶよりも「4万2千195メートル走」と呼んだほうがふさわしいように思う。そう考えると、今回のマラソンで、現在の世界記録保持者であるラドクリフがレース終盤へ来てリタイアしたのは象徴的なシーンだった。今回の過酷なコースはやはり「トラックの延長」とは別のものだということを、この事実は端的に示しているのではないか。
とはいえ、このような現象は何もいまに始まったことではないだろう。しかし始まったとしたら、一体どこらへんからなのか、調べてみる価値はあるかもしれない。