名古屋に「文化のみち二葉館」開館

貞奴の優雅な暮らし再現 名古屋に旧邸宅の資料館

 日本の女優第一号として知られる川上貞奴(1871−1946)の邸宅を移築した資料館「文化のみち二葉館」が8日、名古屋市東区にオープンし、埼玉県や福岡県から貞奴の親族も参加して開館式典が開かれた。
 建物は、色鮮やかなステンドグラスが目を引く和洋折衷の2階建て。木曽川電源開発で「電力王」と呼ばれた福沢桃介と貞奴が同居していた東区の邸宅を、市が所有者から譲り受けて、移築・復元した。
 1階は貞奴が使った着物や三味線、びょうぶを置き、大正時代の優雅な生活を再現。屋久杉を使った天井などは建築史料としても貴重という。
共同通信) - 2月8日11時3分更新

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050208-00000054-kyodo-soci

へー、名古屋にこんな邸宅があったとは知らなかった。川上貞奴といえば、1900年のパリ万博で夫の川上音二郎とともに公演を行ない、パリっ子たちから「マダム貞奴」と称賛されているから、これも万博がらみといえば万博がらみなのか。調べてみると、川上貞奴は明治末の1911年に音二郎に先立たれ、17年(ロシア革命の年ですな)には女優を引退しており、没年の46年から逆算するとずいぶん長い余生を送ったことになる。
ちなみに、貞奴とライバルと目される松井須磨子とのあいだには15歳もの年の差がある。これはいまでいうと、ちょうど藤原紀香松浦亜弥の年齢差と同じだ。ということは両者は全然別の世代なのである。たしかに、芸妓出身で夫に先立たれてからは、初恋の相手の福沢桃介*1と同居し幸せな余生を送った貞奴と、養成所出身で女優になるためには鼻の整形も辞さず、さらには劇作家の島村抱月と道ならぬ恋に落ちたあげく、急逝した抱月のあとを追って自殺……と元祖「ザ・女優」ともいうべき波瀾の人生を送った須磨子とでは、あまりに対照的すぎるな。前近代的な部分を残した女性と、いやがおうにも近代を生きざるをえなかった女性(当時の流行語でいうなら「新しい女」)との違いともいうべきか。

*1:福沢諭吉の娘婿(1868〜1938)。貞奴の半生を描いた大河ドラマ春の波濤』では、桃介を風間杜夫が演じていたのが、子供ながらに印象に残っているなあ。