「板東英二、その副業人生」メモ

 拙稿が掲載されたソフトバンククリエイティブのメルマガ『週刊ビジスタニュース』の先週配信分がウェブ上にもUPされました
 今回僕が寄稿したのは、現在何度目かのブレイクを迎えている板東英二の半生を、「副業」という視点からたどったものです。今後、ワークシェアリング制度の導入などで一般の人々にとっても副業はおそらく重要なものになってくるはずですが、板東の人生に一貫してみられる「貧乏にはなりたくない」「身の程を知る」「本業での収入をあてにしない」という心がけは、そういう人たちの指針となるのではないでしょうか。
 なお、本稿を書くにあたっては、過去の雑誌記事のほか、つい最近出た『天然 板東英二ゆでたまご伝説』(ワニブックス)という本をかなり参考にさせてもらいました。この本、「伝説」について一つ一つ、板東本人のほか、家族や長らく番組で共演しプライベートでも交流があるという野々村真(野々村が結婚するときの仲人は板東が務めている)からもちゃんと裏をとっていて、なかなかよくできた本だと思います。
 ただ、板東を「天然」と呼ぶことにはやや違和感を覚えました。長嶋茂雄ガッツ石松などといった人たちのあまたの伝説はたしかに「天然」に由来するものでしょうが、板東の伝説の大半はむしろ、常に将来を見越した計算ずくの生き方に発するもののように思うのですが。
 現在における板東のブレイクは、計算ずくも度を越すとおもしろいということに人々が気づいたからでしょうか。それとも、いまや計算ずくな生き方はどうしたって大時代的なものに見え、滑稽に見えてしまうからなのか。まあ、両方のような気がしますが。

天然 板東英二のゆでたまご伝説

天然 板東英二のゆでたまご伝説

 以下は余談です。
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 とある人名事典での板東の項目がひどすぎる件。

昭和15年4月5日満州(中国東北部)虎林生まれ。33年徳島商のエースとして夏の甲子園準々決勝で魚津高の村椿投手と延長18回を投げあい引き分け。翌日の再試合で投げかち、準優勝。34年中日に入団し、リリーフ投手として活躍。実働11年、通算77勝65敗、防御率2.89。のちテレビの司会などで活躍。
 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社

 ほとんどが高校野球での活躍に関する記述で占められ、あとはプロ野球に関する記述が2、タレントとしての活躍は1にも満たないというのはどういうことでしょ。
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 板東が1977年の参院選自民党から出馬の打診を受けた(だけど家族の反対で告示前日にとりやめた)という話は本文でも触れましたが、そのとき、自民党に出した条件は以下のようなものだったそうです。

 まず国会議員になったらもらえる国鉄の無料パスは使わん。赤字を出してるところにタダで乗ったらあかん、いうのが僕の考えや。それから老人福祉の問題。僕は家におる老人を、みんな外に出せ、いうたんです。草むしりや道路の掃除をやってもらって、金を払えばいいんですわ。これが公約みたいなもん。
 次に自民党に、俺は当選したら見たこと、きいたこと何でも言うぞ、と言うたんです。自民党の中の野党やな。それから、僕の選挙事務所の会計に共産党やら公明党やらの支持者を入れてくれ、言うたんです。そないすれば選挙で、いくら金を使うたか、みんなに分かるやろと思ったんですわ。
 自民党は最後の会計のところはかんべんしてくれ、ちゅうて、あとのことは認めてくれたですよ。
  『Number』1984年3月5日号

 老人に報酬つきで草むしりや道路の清掃をさせるというアイデアは、現在の超高齢化社会を予見しているようで興味深いです。
 ちなみに、先述の『ゆでたまご伝説』によれば、板東は現在、新幹線の改札は顔パスで通っているとか(ただし新横浜駅ではどうしても駅員に止められてしまうらしい)。まあ、料金はきちんと車内で払っているというのでいいんですが。いや、よくないだろ。