“新幹線の父”島秀雄が方向づけた日本の宇宙開発

 来週あたりUPされる予定の『新幹線と日本の半世紀』関連のインタビューにこたえるため、東海道新幹線の開発を主導した国鉄技師長・島秀雄の評伝である『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(高橋団吉著、小学館、2000年)を読み返したりしていた。
 同書には、島が国鉄をやめたのち、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構JAXA)の初代理事長に就任してからのことも書かれているのだが、その時代に島が語ったという言葉が印象に残った。
 島は、国産のロケットで人工衛星を打ち上げることにこだわる技術者たちに対して、「アメリカさんに打ち上げてもらえるのなら、どんどん頼めばよい。そんなところで国産にこだわるより、むしろ日本らしい、独自の技術開発にエネルギーを使うべきでしょう」と語ったというのだ。事実、国産初の気象衛星「ひまわり1号」などは、アメリカで打ち上げられている(1977年)。
 当時、日本のロケット技術はまだ開発途上にあり、技術者たちは少しでもアメリカをはじめ他国に追いつけ追い越せと焦りを抱いていたわけだが、これに対して島は先端技術というものは、もはや国家という枠組みを超えてグローバルなネットワークを形成しているのだから、一つの国のなかで自主開発にこだわるよりも、むしろネットワーク全体に寄与する技術が必要だと考えていたようだ。
 果たしてその後、日本の宇宙開発は、かつてのソ連アメリカ、あるいは現在の中国のように国家の威信にかけてというよりも、島の目指したようなグローバルなネットワークに寄与するという方向に進んでいった。きのう(27日)、国際宇宙ステーションISS)とドッキングした無人宇宙船「こうのとり」2号機(HTV2)は、まさにその一つの到達点だといえると思う。「こうのとり」は、今年にも予定されるアメリカのスペースシャトルの引退ののち、ISSへの唯一の物資補給機となるため、ますますその役割が期待されている。
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 そういえば、きょう1月28日は、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故からちょうど25年目の日だったっけ。

新幹線をつくった男 島秀雄物語 (Lapita Books)

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増補 スペースシャトルの落日 (ちくま文庫)

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