「情報化の時代を生きた2011年物故者たち」補遺

 ここ4年ほど、ソフトバンク クリエイティブの「ビジスタニュース」にて毎年年末にその一年の物故者を振り返る文章を寄稿しています。昨年以前、過去3年分の原稿は下記のとおり。

 そして今年も去る27日に掲載され、少なからぬ反響をいただきました。そのほとんどが好意的な感想だったのは、物書き冥利に尽きます。

 これでも十分に長いのですが、今年は各界で重要人物が亡くなったこともあって、最初の原稿ではこれ以上の分量がありました。ただ、1ページに収まる文字数を超えてしまったので、最後の最後で泣く泣く削ったのでした。そこでこのエントリでは、惜しくも文章から漏れた物故者をとりあげるとともに、参考文献などを断章形式で紹介していきたいと思います。以下、カッコ内の日付は、本文と同様、故人の命日を示します。
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 冒頭と文末に「糸口」という言葉を登場させたが、これはピーター・フォーク(6/23)が、テレビドラマ『刑事コロンボ』の制作・出演にあたって、コロンボがどう犯人を追いこむか、その糸口を考えるのに毎回苦労していたという話から。『ピーター・フォーク自伝』には、あるとき歯医者に行ったとき、たまたま手にした雑誌(歯科医向けの専門誌)の記事からドラマで使えそうなネタを見つけて、その雑誌ごと持ち去ったというエピソードが紹介されている。

ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔

ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔

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 2011年の大相撲春場所は本来なら3月12日に初日を迎えるはずだった。作家の宮本徳蔵(2/2)の『力士漂泊』によれば、相撲には「鎮魂のパフォーマンス」という側面もあったというのだが……。
 ちなみに私の手元にある『力士漂泊』は1994年に出たちくま学芸文庫版(親本は1985年、筑摩書房刊。いまは講談社文芸文庫から出ている)。かの双葉山十両に昇進したとき、化粧まわしの用意のないのを知ったある八百屋が、ささやかな店を売り払って貢ぎ、夜逃げしたという挿話など、いまのAKB48のCDを買いこむどころの話ではない。
 同書には、相撲に対する文化人類学的な考察も随所に見られる。ちくま学芸文庫版では、今年文化功労者に選ばれた文化人類学者・山口昌男が解説を書いている。
力士漂泊 相撲のアルケオロジー (講談社文芸文庫)

力士漂泊 相撲のアルケオロジー (講談社文芸文庫)

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 エリザベス・テイラー(3/23)が、ジェームズ・ディーンロック・ハドソンらと映画『ジャイアンツ』で共演した1956年、日本では長門裕之(5/21)がのちの妻・南田洋子と『太陽の季節』で共演している、
 テレビ登場以降の映画スターは、神秘のオーラをまとうことがきわめて困難となったが、テイラーは『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)の劇中、中年女性に扮し当時の夫であるリチャード・バートン(本文でとりあげた『クレオパトラ』での共演がきっかけで結婚、その後離婚と再婚を繰り返した)と激しい夫婦喧嘩を演じるなど、ただの美人女優というイメージを超えることに成功する。
 一方、『太陽の季節』で主演を務めた長門は、このとき共演した石原裕次郎とは対照的に仕事を選ばないことで知られました。たとえば和田慎二(7/5)のマンガを原作に、田中秀夫(7/9)がメイン監督を務めたテレビドラマ『スケバン刑事』(1985年)で演じた暗闇指令を、彼の代表作にあげる人も案外多いのではないだろうか。
バージニア・ウルフなんかこわくない [DVD]

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日活100周年邦画クラシック GREAT20 太陽の季節 HDリマスター版 [DVD]

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大女優物語―オードリー、マリリン、リズ (新潮新書)

大女優物語―オードリー、マリリン、リズ (新潮新書)

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 千葉県知事の沼田武(11/26)は、幕張および成田空港と木更津を核に「千葉新産業三角構想」を掲げた。沼田と同時期に大阪府知事を務めた岸昌(1/21)は関西国際空港の建設など開発事業を推し進めた。その初代社長に運輸省出身の竹内良夫(8/9)が就任、10年後の1994年に開港を迎える。
 千葉や大阪だけでなくバブル期前後には全国で大規模な開発が進められましたが、バブル崩壊後には多くの人がそのツケに苦しむこととなる。1997年、山内宏(11/22)が頭取を務める北海道拓殖銀行が経営破綻したのも、不動産開発会社への巨額の融資がバブル崩壊後に不良債権化したのが原因であった。
 2011年には、企業倫理が問われる事件が目立ち、コンプライアンスという言葉が流行語となった。列車事故など不祥事があいついだJR北海道では、安全体制の確立をめざし陣頭指揮をとっていた社長・中島尚俊が、遺書を残して行方不明になったのち遺体で発見される(9/18)という事件が起きている。
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 21世紀初め、汐留に竣工した日本テレビ電通の新社屋は、いずれも欧米の有名建築家による設計した超高層ビルとして話題を呼んだ。
 だが、戦後数多くのオフィスビルを手がけてきた建築家の林昌二(代表作は毎日新聞の東京本社などが入るパレスサイドビルなど。11/30)は、それより前の1995年、《二〇世紀を形づくってきたオフィスビルが終わろうとしている》《街頭の携帯電話風景はそれを予感させます》と書いていた(「オフィスが溶解をはじめた」『新建築』1995年12月号、『建築家 林昌二毒本』に再録)。
 工業化の時代にあってオフィスは工場に付随した存在であった。それが社会の情報化の進行にともない、都市の主役となり都市景観を形成する役割も果たすことになる。
 だが、オフィスはOA化により「重装備の事務処理工場化」が極点に達したところで、解体への新たな可能性が開かれることになる。携帯電話やノートパソコンの急速な普及から、林は《この調子ではいずれ歩きながらインターネットで交信する人びとが現れます》(前掲書)と予見したが、それはみごとに的中した。
建築家 林昌二毒本

建築家 林昌二毒本

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 演劇畑出身でCBSテレビ(全米ネットワークの一つ)でのディレクター経験も持つアメリカの映画監督、シドニー・ルメット(4/9)は、『ネットワーク』(1976年)で、視聴率獲得のため番組の内容をエスカレートしていくテレビ業界人たちの姿を戯画化してみせた。それは、1980年代以降の日本のテレビ界を予言したものであったような気もする。  ■
 その80年代、フジテレビは横澤彪(1/8)プロデュースによる一連のバラエティ番組により一時代を築く。同局を含むフジサンケイグループはこのころCI戦略の一環として、イラストレーターの吉田カツ(12/18)のデザインによる目玉マークをシンボルマークに採用している。
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 『オレたちひょうきん族』ではコント赤信号もブレイクした。コント赤信号の3人は1983年に、なぎら健壱とともにプロレスラーの上田馬之助(12/21)の応援ソングとして「男は馬之助」というレコードをリリースしている。ヒールとしての馬之介の悲哀を歌った佳曲(作詞・作曲はなぎら本人)。

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 和田勉(1/14)はNHKの新人ディレクター時代の1950年代から60年代にかけて、当時社会問題化しつつあった水俣病も何度かドラマでとりあげている。水俣病は多くのテレビドキュメンタリーでも題材とされ、福岡のRKB毎日放送のテレビディレクターの木村栄文(3/22)による『苦海浄土』(1970年)といった作品が生まれた。北林谷栄演じる瞽女(ごぜ)を現実の風景のなかに登場させたりと虚実とりまぜての構成はいま見ても新鮮である。木村にはこのほか、テキヤの生活を追った『祭りばやしが聞こえる』(1975年)などの代表作がある(なお、このドキュメンタリーは、柳ジョージ[10/10]が主題歌を歌った1977年放映の同名のテレビドラマとは無関係)。
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 今回の原稿を書くために、複数の図書館から制限いっぱいまで本を借りてきたのだけれども、仕事関係なしにじっくり読みたいと思ったものも多かった。そのひとつが、書誌学者・文芸評論家の谷沢永一(3/8)のコラム大全というべき『紙つぶて 自作自注最終版』だ。
 たとえば1970年に発表したコラムで谷沢は、白川静が自身の漢字の原義研究をまとめた『説文新義』全15巻について、《後世に残る大著》《文部省の研究成果刊行助成金なるものは、本来、『説文新義』や『書源』[藤原鶴来編纂による中国・日本の古名蹟をまとめたもの――引用者注]など、純粋に世に役立つことだけを願った労作にこそ与えられるべき》だと書いている。が、その35年後の追記のなかでは評価を一転し、《いったい漢字の語義なんて知ることが出来るものか》《今は恰(あたか)も白川静の時代であるが、彼の説くところに実証性があるか》と批判、最後には次のように断じている。

 また甲骨文も金文も自らは何も語らない。それにもっともらしく理屈をつけて学者が判読する。要するに独断である。証拠がない。文字学は想像による印象論である。原始的な象形文字は印象批評で決めるだけである。白川静を信用するな。

 分厚い同書には、このような辛辣なコラムが満載で、どこから読んでも面白い。谷沢は関西大学の教授時代には、テレビ番組で共演した落語家の桂文珍を非常勤講師に招聘しているが、教養課程ではなく専門課程の講師を芸能人が担当したのは日本で初めてのことであったという(あれ、でも、大阪芸術大学教授のフランキー堺のほうが早かったような……)。

紙つぶて―自作自注最終版

紙つぶて―自作自注最終版

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 本文でとりあげた石堂淑朗(11/1)と市川森一(12/10)は『ウルトラマン』シリーズの脚本も手がけている。同シリーズをはじめとする怪獣映画は、それを見て育った世代により再評価されることになる。特撮映画研究者の竹内博(6/27)はその先駆けで、後進の評論家にも大きな影響を残した。
 石堂は、テレビディレクターで映画監督の実相寺昭雄とともに『ウルトラマン』シリーズ以外でもコンビを何度か組み、映画『哥(うた)』(1972年)などの名作を残している。
哥(うた) [DVD]

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偏屈老人の銀幕茫々

偏屈老人の銀幕茫々

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 プリンス自動車工業(のち日産自動車と合併)のエンジニアとして初代「スカイライン」を開発した櫻井眞一郎(1/17)は、その後、7代目のスカイラインまで開発に携わった。櫻井はスカイラインを、「自動車も一つの文化とみなして作品的にするか、利潤を生みだすための手段と考えて商品的にするか」という両極のあいだを行ったり来たりしながら設計してきたという。もっともスカイラインは本来、前者であるべきだと彼は考えており、歴代の型のなかでは強烈な個性ゆえに一般的には受け入れられなかったものもあった。このあたりは、ウィンドウズに対するカウンター的存在と目されることも多いアップルとも共通するかもしれない。
スカイラインとともに (わが人生 (2))

スカイラインとともに (わが人生 (2))

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 他国からの侵略、それにともなう亡命という体験を持たない日本人のなかからは、ハンガリー生まれながらハンガリー動乱(1956年)を機にスイスに亡命し、そこで新たに習得したフランス語で小説『悪童日記』(1986年)を著したアゴタ・クリストフ(7/27)のような作家は生まれなかった。
 小松左京(7/26)の『日本沈没』(1973年)は、もし日本民族が国土を失い世界各地に離散したら……という思考実験を含んだものであった。
 小松は同作執筆と並行して1970年の大阪万博にも、テーマ館プロデューサーの画家・岡本太郎をサポートする形(名目はサブプロデューサー)でかかわっている。現在も残る「太陽の塔」を中心に据えた万博のテーマ展示で、小松は「生命の発生」や「文明以前の人類」、「文明以前の神々」といった展示のプロデュースを担当した。その際まず、岡本のもとに集結したスタッフたち(デザイナーなど芸術系の若い世代が多かった)を前に、《生化学から文明論から人類学から民俗学まで、とにかくサブテーマをつくり出す上の背景となった基礎知識を、みんなが大体のアウトラインをマスターしてしまうまで》レクチャーを行なったという(『巨大プロジェクト動く 私の[万博・花博顛末記]』)。

 顕微鏡映画や天体写真、学術書にはいっている図版を見てもらいながら、科学の開示する世界が、デザイナーたちの「デザインスピリット」ともいうべきものを刺激することを私は期待した。デザイナーたちは、実に敏感に反応をしめしてくれた。
 展示産業界からの出向社員の一人などは、最後にはアマチュアながら生化学について大変な知識をもち、蛋白質の分子構造について、私をやりこめるほどになってしまった。(前掲書)

 詩人の島田陽子(4/18)の作詞による「世界の国からこんにちは」をテーマソングに、大阪万博は1970年3月から9月まで開催され、のべ6千万人超の入場者を数え成功裏に終わった。
 万博で描かれた華やかな未来と、『日本沈没』で描かれた終末的世界とのあいだにはギャップがある。これについて評論家のいいだもも(3/31)は、『日本沈没』について《小松左京が時流に投機して、未来論からにわかに終末論へと流行作家たるの鞍がえをやった、と見るのは当たらない。『日本沈没』が9年がかりの大作であるばかりか、処女長編『日本アパッチ族』自体がすでに日本が食鉄人種に食われて滅亡してしまう話なのだから》(朝日新聞社編『現代人物事典』「小松左京」の項)と書いている。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

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 氷雪物理学者の樋口敬二は、『日本沈没』を《関西に本拠を置く巨大な“情報産業機構”の産物である》(『ベストセラー物語(下)』)と評した。その“機構”の中心にいたのは、「情報産業論」を1963年に発表した民族学者の梅棹忠夫である。
 梅棹は人類学者の今西錦司の門下から出発している。同じく今西門下で、今西から植物生態学を継承したのが吉良竜夫(7/19)である。熱帯雨林の研究で知られ、滋賀県琵琶湖研究所の初代所長も務めた吉良は、自然保護活動にも積極的に取り組んだ。
 同じく生物学の分野で「構造主義生物学」という独自の思想を提唱した柴谷篤弘(3/25)も、1992年のブラジルでの国連環境会議(地球サミット)で、《キーワードとなった「持続可能な発展」および「多様性」の持続には「循環」がもっとも重要な要素であることを生態学、生物学の見地から主張した》(大和雅之「柴谷篤弘」、『日本大百科全書小学館)。
構造主義生物学

構造主義生物学

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 医学・生理学の分野に目を向ければ、日本初の心臓移植手術(1968年)を執刀した和田寿郎(2/14)や、あるいは免疫細胞の一種「樹状細胞」を発見したカナダ出身の生理学者ラルフ・スタインマン(9/30)といった人たちが亡くなっている。スタイマンは、樹状細胞を用いた免疫療法で自身のがんも克服しようとしたものの、ノーベル医学・生理学賞の受賞決定のわずか4日前に亡くなった。ノーベル賞には生存者にのみ授与されるとの原則があるが、スタインマンはその死が選考後にあきらかになったことから決定通り賞が贈られることとなった。彼の娘の一人が、「悲しい知らせとうれしいニュースでみんなを戸惑わせるのは詩的で、センスのよいやり方。とても父らしい」と語っていたのが印象的だった。
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 60年前の民間放送の誕生以来活動を続けてきた声優・滝口順平(8/29)の代表作の一つに、NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』でのライオン役があげられるが、同番組の主題歌など、子供向け番組や映画でも数多くの名曲を生んだのが作曲家の宇野誠一郎(4/26)である。『ひょうたん島』はじめ、昨年亡くなった井上ひさしと組んだ仕事も目立つ(テレビアニメ『ムーミン』や『アンデルセン物語』など)。
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 本文で引用した団鬼六(5/6)の「私の持つ嗜好趣味とは反対の被虐趣味の分野に入るものだが、その卓絶した文章力に驚かされた」という『家畜人ヤプー』評は、『文藝春秋』2004年9月号より。
 団は落語立川流に入門し、その家元・立川談志(11/21)より命名された「立川鬼六」という高座名を持っていた。その談志について本文で紹介した言説は、『談志 最後の落語論』を参照した。
SかMか 体の闇がわかる本

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談志 最後の落語論

談志 最後の落語論

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 と、「補遺」あるいは「外伝」のつもりで書いていたのだが、すっかり長くなってしまった。最後に一つだけ、映画監督・森田芳光(12/20)の80年代の対談中のこんな発言を紹介して締めたい。

 ぼくね、立川談志さんの『現代落語論』ていうのがすごく好きなんですよね。その中でね、談志さんがうまいこといってるんだけど、「同時代を生きてるアーティストについて行け、それを楽しめ」っていうの。わかるんだよね。今は談志がいる。だから、談志について来いっていうの。談志のいい時も悪い時も、全部が一つのエンターテインメントになっているっていうんだよね、ライフサイクルの中で。
 (「劇評家にもいってやって」、『野田秀樹対談集 美談』所収)

現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)

野田秀樹対談集・美談 (1984年)

野田秀樹対談集・美談 (1984年)