最近の仕事から――アメリカにおける「伝記文化」

先月11日にオープンしたサイト「cakes」にて、「一故人」という連載を始めました。そのときどきの著名な物故者を振り返るという不定期連載です。オープン初日に掲載された第1回では浜田幸一を、続いて10月2日掲載の第2回ではニール・アームストロングをとりあげました。

アームストロングの記事とほぼ並行して、『プレジデント』誌での仏教特集のためスティーブ・ジョブズについての原稿を書いていました。その執筆にあたっては、昨年のジョブズの没後に刊行されたウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』(講談社)をかなり参考にしています。いっぽう、アームストロングの原稿では、ジェイムズ・R・ハンセン『ファーストマン』(ソフトバンク クリエイティブ、2007年)をかなり参照しました。

これら本を参考文献として読んでいてふと思ったことがあります。それは、アメリカには彼らのような大人物が公式に伝記を残す文化がちゃんと根付いているのだな、ということ。この場合、自伝ではなく、あくまで第三者が書く伝記であるということが重要かもしれません。本人に語らせるだけでなく、彼とつながりをもった人たちにも丹念に話を聞いて、客観的、多面的にその人物の人生を記録する。非公式ではなく本人(あるいは遺族)公認の伝記でこれをやるという文化がはたして我が邦にはあるだろうか……というと、残念ながら「否」と言わざるをえないでしょう。

たしかに日本経済新聞連載の「私の履歴書」などは、財界人や政治家にとって一種のステイタスであり、誰もが書きたがるといいます。また、オーラルヒストリーの名のもとに、歴史的に大きな役割を担った人物たちに長期にわたるインタビューを行ない、その人生を記録するということもこの10年あまりで定着しつつあります。

しかし自伝を書くにせよオーラルヒストリーで語るにせよ、どんなに自分を客観的にとらえようともやはり限界がある。そこで書かれる/語られることに、本人の記憶違いがないとは言い切れません。じつは、「一故人」の連載開始前に、もうひとり調べていた人物がいて、その人は著書も多くオーラルヒストリーも残しているのですが、オーラルヒストリーについていえば、ご本人がかなりの高齢ということもあって、過去に本に書いたことも案外忘れていたりしてはっきりしないくだりも目立ちました。オーラルヒストリーを残す場合、対象の年齢というファクターもけっこう重要なのではないでしょうか。

ともあれ、前出のスティーブ・ジョブズの伝記はいうまでもなく、アームストロングの伝記『ファーストマン』は掛け値なしに面白い本です。拙記事でとりあげたように、月面でのアームストロングの写真がほとんど残っていなかったり、オルドリンが自分こそが最初に月に降り立つ人間だと一時思いこんでいたという話など、アポロ11号の飛行に関しては「これ、本当のところはどうなんだろう?」と思うようなことも少なくなかったのですが、この本を読むとそれらの疑問がひとまず解けます。後者については、オルドリンとアームストロングのあいだで記憶に食い違いがあるのですが、その食い違い自体もひとつの事実として受け取れました。

ファーストマン(上) (ニール・アームストロングの人生)

ファーストマン(上) (ニール・アームストロングの人生)

ファーストマン(下) (ニール・アームストロングの人生)

ファーストマン(下) (ニール・アームストロングの人生)

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

PRESIDENT (プレジデント) 2012年 10/29号 [雑誌]

PRESIDENT (プレジデント) 2012年 10/29号 [雑誌]