雑誌におけるアナーキーさについて

話を戻して、『BUBKA』という雑誌自体について。
先に最近の同誌がカルチャー誌っぽくなりつつあるということを書いたが、しかしそこでぼくがイメージするのは、たとえば、自ら「カルチャーマガジン」を標榜する『Invitation』誌などとはまた違った種類の雑誌である。なんというか、本質として内輪的な「おたく」というジャンルからも、あるいは90年代後半以降、急速にステイタスというか居場所を得てしまった「サブカルチャー」というジャンルからも、ましてや「ハイカルチャー」や「アカデミズム」の世界からは完全に取りこぼされたものを、ことごとく拾い上げている雑誌――そんなイメージを、ぼくは『BUBKA』に対して抱くのだ。
これがかつてなら、そういった「どこにも居場所のない、カテゴライズ不可能なもの」こそサブカルチャーと呼ばれていたはずなのだが、ある程度以上の規模の書店ならどこにでも「サブカル棚」が存在するいまとなっては、サブカルチャーという言葉の意味そのものが変わってしまっている。よって、ぼくの考えでは『BUBKA』はサブカルチャー誌ではない。強いていえば、「なんだかよくわからない雑誌」だ。少なくとも、アイドルの流出写真なんかとともにちゃんと読ませるコラム(連載陣も辛酸なめ子みうらじゅんなどけっこう豪華)やインタビュー記事が載ってて、なおかつコンビニで全国的に流通してる雑誌というのはいまとなっては『BUBKA』ぐらいだろうし(これがちょっと前なら、『投稿写真』の後継誌『TOP SPEED』も同類誌としてあげられたはずなのだが、いまや単なるエロ本になってしまっている)。
結局、かつてサブカルチャーが持っていたはずのアナーキーさというのは、いまや雑誌としては『BUBKA』ぐらいにしか受け継がれていないということか。いわば、多くの書店に「サブカル棚」ができたことで、サブカルチャーは死んだのだ。皮肉なことに。まあ、ロックが死んで、パンクが生まれたように、サブカルチャーが死んで『BUBKA』が生まれたといってもいいかもしれないが。いや、それは褒めすぎか。