4月1日は「羽田復権」と「成田処分」の日?

羽田と成田両空港の話が出たついでに、次のような話をこれまたメモ程度に記しておく。
来たる4月1日は羽田空港復権の日である。この日、千葉県成田市新東京国際空港が民営化し、正式名も「成田国際空港」と改称されることから、羽田空港東京国際空港は再び「東京」の名を冠する唯一の国際空港となるからだ。これを機に、ここ数年徐々に進められていた羽田の再国際化はおそらくもっと進展することだろう。逆にいえば、成田の民営化と改称は政府と東京都による「成田処分」と捉えることもできるのではないか?
思えば新東京国際空港という名称は、この空港が東京国際空港の過密緩和のために新たに設置されたという意味から「新・東京国際空港」と解釈するのが普通である。しかしもう少し拡大解釈するなら、空港という東京の都市機能の一部を移転したという意味で「新東京・国際空港」と読み取ることも可能ではないだろうか。そう考えてみると、同空港の開港以降、円高バブル経済の加速を背景に千葉の幕張や横浜のみなとみらいをはじめとする東京近郊の都市が「新都心」として開発が進められたことはけっして偶然ではないはずだ(そういえば実際には千葉県浦安市に建てられたテーマパークが「東京ディズニーランド」と名づけられたのもちょうどこの時期にあたる)。いわば新東京国際空港の開港は、その後の東京という都市のイメージが、現実の行政区分である東京都から逸脱し浮遊化していった時代の、その到来を告げる一つのできごとだったのである。
しかしバブルがはじけて十数年。一見すると、かつてはその周辺都市をも覆い尽くさんばかりの勢いだった東京というイメージ(記号)の力もすっかりダウンしてしまったかのようにも感じられる。だがそれはけっしてダウンしたわけではない。六本木や汐留、品川などといった東京都心部の再開発を見ればあきらかなように、その力はかつてとは方向を変えて、外側ではなく内側へと向けられているのだ。このことについてこの20数年うたかた……それこそ《海に浮かんだ光の泡》(沢田研二TOKIO」)のごとく浮遊を続けてきた東京が、再びその中心に定位置を見出し(そういえば猪瀬直樹は『土地の神話』の中で、大正末における山手線の環状運転開始というできごとに、皇居を中心とした帝都像の成立を見てとっていたが)、周辺地域を切り捨てたと捉えることもできるだろう。一旦は千葉や横浜に本社を移転させた企業が、改めて東京都心へと戻したり、それによって周辺地域の活気が失われるといった事態を見るにつけ、ぼくはその思いをさらに強くする。まあもともと港町という東京とはまた違った都市イメージを持つ横浜はともかく、こうした“切り捨て”が千葉に与えたダメージは大きいように思う。たとえば先日、久々に千葉へ行ってみて驚いたのだが、日曜の昼間というのに千葉駅周辺には人がほとんど歩いていないのだ。あるいはバブル崩壊直後に鳴り物入りでオープンした船橋の屋内スキー場・ザウスの閉館・解体なども象徴的なできごとといえるだろう。そしておそらくは、羽田の“復権”に対して、「成田国際空港」と一地方都市の国際空港という位置づけに“格下げ”された成田も、これから厳しい試練に立たされるのではないか――。ぼくにはそんな気がしてならない。