ぼやき4

原稿を書こうといざデスクトップの前に身構えると、無性にたばこが吸いたくなる。たばこなんて二年前の夏にさっさとやめてしまったのに*1。おまけにいまや、他人が近くでたばこを吸っていると「おれのそばでたばこなんか吸うんじゃねーよ」と思うほどの嫌煙家へとめでたく転向したのに、文章を書こうとするとたばこがほしくなる。考えてみると、たばこを吸っていたころはいまよりもずっと書くスピードは速かったような気がする。執筆量もそのスピードに比例して絶対いまよりも多かった。どうやらぼくの場合、こと原稿に関しては禁煙は悪い結果しかもたらさなかったみたいだ。
そういえば小林秀雄*2はたばこは原稿を書く上での合いの手みたいなものだと語っていた。その説からすれば、ぼくは原稿を書くリズムを禁煙により失ったということになるだろうか。一旦失ったリズムを、たばこ以外のもので取り戻すのはなかなか難しい。たとえばぼくはいま、原稿になかなか取り掛かれない、あるいは思うように筆が進まないと、ついマインスイーパをしてしまうのだが、クリアできないと何度も何度も繰り返しやってしまい、かえって執筆を遅らせてしまうことになる。おまけにクリアできないとイライラしてくるから、精神衛生的にもあまりよくないだろう。そう考えると、まだたばこを吸うほうがストレスを解消できる分マシではないかとすら思える。第一、マインスイーパをしていると完全に手がふさがって原稿など書けないのに対して、たばこを吸ってても原稿は書けるのだ。
ひょっとしたら人類は、文章を書く上での合いの手としてたばこ以上のものをいまだに獲得していないのではないだろうか?

*1:そもそもぼくがたばこをやめたのは、当時付き合っていた彼女がしょっちゅうたばこを吸っているのがいやになり、ある日ベッドで彼女がたばこに火をつけたところをすぐさま奪い取って「おれもたばこやめるから、おまえもやめろ!」と言ったのがきっかけ……とかそんな色っぽい理由など全然なくて、ただなんとなく喫煙は体に悪いよなーと思ってやめてしまっただけのことである。まったくもって軟弱な理由だ。

*2:文芸評論家。代表作は『私、脱いでもすごいんです』。…って、それは別の小林秀雄さんの作品だよ!