三代目たちが動かす日本

きのう杉田かおるの結婚が発表された。その相手である鮎川純太という人は日産コンツェルン創始者鮎川義介(あいかわ・よしすけ)の孫だという。彼の横顔とその一族について昨日付の『夕刊フジ』は次のように紹介している。

杉田かおる玉の輿、日産コンツェルン御曹司の評判

 大ヒット曲「鳥の歌」をリリースし、最近は“負け犬”キャラとして人気の女優、杉田かおるさん(40)の結婚話が急浮上してきた。お相手は日産グループ創始者鮎川義介氏の孫というのだから仰天だ。事実なら、それこそ“玉の輿”だが、財閥創業者の直系に当たる御曹司の評判は−。
「義介氏は昭和初期の超大物です。そのお孫さんが、杉田さんと結婚ですか?! 最近は、鮎川一族の話など聞いたことがないから、大物の亡霊が出てきた感じだ」。財界関係者は驚く。
 杉田さんの結婚情報を“仰天スクープ”として掲載した週刊文春が「超玉の輿婚」と報じた相手は、ベンチャー企業向け投資などを行う『テクノベンチャー』会長兼社長、鮎川純太氏(44)。
 同社は、東京・築地本願寺近くの10階建て雑居ビルの4階にある。周辺には米穀店や青果店が立ち並び、下町の風情が残る。受付電話で、純太氏に面会を求めたところ、女性社員から「社長は不在です」との答えが返ってきた。
 普段から多忙で、あまり出社しないという純太氏の社長としての仕事ぶりには、「守秘義務がありますので…」と口を閉ざした。
 杉田さんとの婚約話について、社員らは12日、初めて知ったといい、「マスコミの問い合わせが殺到しているが、答えようがない」と困惑を隠せない様子だった。
 一躍、脚光を浴びることになった純太氏は昭和35年、米ボストン生まれ。成蹊大学経済学部卒業後、ボストンのマサチューセッツ工科大学経営大学院を修了。平成元年に山一証券入りし、4年2月から現職を務める。
 純太氏の友人は「山一時代、M&Aを担当し、仕事はそつなくこなしていた。お坊ちゃまタイプでなく、芯のしっかりした男だった。米国にもハイレベルな人脈がある」と話す。
 同誌によると、「中肉中背で、端整な顔立ち」「趣味は狩猟と日本刀の収集」というから、一般人とはケタが違う。
 信用調査会社によると、同社は昭和24年創業。業界内全国2648社中928位、社員7人、昨年12月期の売り上げは6億円と、それほど大きな会社ではない。
 だが、「超玉の輿」とされるのは、理由がある。純太氏は、日本史の教科書にもその名前が載っている「日産コンツェルン」を一代で築いた鮎川義介氏の孫に当たる超一流の大御曹司なのだ。
 「最近は、経団連で、ベンチャー投資の講演で講師として招かれるなどの活躍もしている」(関係者)。同社の大株主にも新日鉱ホールディングス日立製作所日産自動車など、かつてのコンツェルン内企業がズラリと並ぶ。
 祖父・義介氏の長男が、純太氏の父、弥一氏にあたり、弥一氏の弟は参院議員も務めた鮎川金次郎氏。「弥一氏が本邦初のベンチャーキャピタル企業としてテクノベンチャー社を創設し、純太氏が後を継いだ」(同)
 義介氏の大叔父は井上馨外務相、純太氏の母方の祖父も宮内庁侍従長を務めた人物。親族には日立製作所の創業者らがおり、家系は折り紙付きだ。
 そもそも、日産コンツェルンは日本15大財閥の1つ。第一次世界大戦後から昭和初期までに台頭した新興財閥で、日窒や理研などとともにコンツェルンと呼ばれた。
 不況で経営危機となった久原財閥を引き継ぐ形で誕生した日産コンツェルンは昭和13年、政府の要請もあって満州に移転。満州重工業開発株式会社として、満州鉄道に代わる重化学工業をほぼ独占支配した超大物企業だった。
 「戦後の財閥解体コンツェルンは解散されたが、その後も日産や日立などグループ企業の結びつきは強く、『春光懇話会』という親睦・情報交換会があります」(財界関係者)
 12日、結婚話について口を閉ざした杉田さん。昨年末は、「負け犬は今年で終わり。来年は勝ちにいきます。玉の輿を狙います」と宣言していただけに、2人の今後が注目される。
  ―『夕刊フジ』2005年1月13日付 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050113-00000011-ykf-ent

上の記事には出てこないが、鮎川義介といえば、岸信介松岡洋右らとともに戦前の満州国を動かし、「満州の3スケ」と称された人物である(これに同じく満州国の首脳陣である東條英機星野直樹を加えて「2キ3スケ」と呼ぶこともあるが)。この「3スケ」のうち岸信介の孫は、つい先日NHKのテレビ番組への「圧力」疑惑が取り沙汰された現自民党幹事長代理の安倍晋三であるわけで、そう考えると、ここへ来ていよいよ日本を、かつての戦前の日本を指導した人物たちから数えて三代目の人物たちが動かし始めたのだという感を強くする。