Culture Vulture

ライター・近藤正高のブログ

丹下健三死去

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050322-00000111-yom-soci*1

巨星墜つ。数年前に新建築社から藤森照信がまとめた丹下の仕事の集大成的な本が出たけど(『丹下健三ISBN:4786901695)、 高くていまだに手が出せずにいる。この機会に買ってしまおうか……。
それにしても、自作の墓石の下に眠る芸術家はそこそこいるかもしれないが(たとえば岡本太郎とかね)、自作の教会の聖堂(あるいは寺院)から人々に見送られる建築家というのはめったにいないような気がする*2
【参考】東京カテドラル 聖マリア大聖堂

*1:丹下健三さんが死去…世界の建築界をリード」/日本の建築界をリードし、「世界の丹下」と評価された文化勲章受章者の建築家、丹下健三(たんげ・けんぞう)さんが、22日午前2時8分、心不全のため東京都港区内の自宅で亡くなった。91歳だった。/告別式は25日正午、文京区関口3の16の15東京カテドラル聖マリア大聖堂。喪主は妻、孝子さん。/1913年、大阪府生まれ。中学まで愛媛県今治市で過ごし、38年に東大工学部建築科を卒業。前川国男建築事務所に勤めた後、東大に戻り、助教授を経て64年に教授となった。/都市計画を専門とし、機能性と美の融合を図る近代建築を推進。広島市平和記念公園(49年)のコンペで1等に選ばれて注目され、東京都庁第1庁舎(57年)や東京オリンピックの代々木・国立屋内総合競技場(64年)などの設計で世界的な評価を得た。/大阪万博の会場構成(70年)のほか、海外での仕事も多く、ユーゴスラビア、イタリア、中東などの都市計画、復興計画を手がけた。日本建築学会賞(54、55、58年)や英王室建築家協会のロイヤル金賞(65年)など内外の賞を多数受賞。74年に東大を退官して名誉教授になり、79年に文化功労者、80年に文化勲章を受章した。/以後は東京都の新庁舎(91年)、フジサンケイグループ本社ビル(97年)、東京ドームホテル(2000年)などの仕事がある。著書に「東京計画1960」「建築と都市」「一本の鉛筆から」など。/(読売新聞) - 3月22日16時8分更新

*2:それでも伊東忠太などはやはりその代表作である築地本願寺で葬儀が執り行われたのだろうか? 気になる。