空港の名前

『ブルータス』の最新号(6月1日号)が空港特集だったので、先週コンビニで見つけて即座に買い求めた。『ブルータス』の毎度ながらのやりくちで、各界の著名人(主にオサレ系文化人の皆様)にアンケートがとられ、各人の好きな空港が紹介されているのだが、あらためて海外の空港には本当に人名を冠した名称が目立つことに気づかされる。一番人気のパリのシャルル・ド・ゴール空港をはじめ、ミュンヘンのフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港に、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港といったぐあい。
そういえば、ぼくが子供のころ、実家になぜか『ジェットストリーム』のカセットテープがあり、それを聴いていたら冒頭の客室乗務員のアナウンスに「レオナルド・ダ・ヴィンチ空港」という名前が出てきて、空港なのにえらくたいそうな名前だなあと子供ながらに感じた記憶がある。
それにしてもなぜ空港の名前に人名が冠されるのか? それについては20年以上前に、建築家の芦原義信が興味深い考察をしている。以下、ちょっと長いけど該当の箇所から引用。

 (……)わが国と諸外国の空港の名称のつけかたについて調査してみると、わが国の空港にはすべて(……)地名が冠してある。それに対し、外国ではその国の代表的な人物の名前を空港に冠している実例が少なくない。それらはフランス、イタリア、アメリカ、コスタリカキューバ、メキシコ、ブラジル、ジェダ、イスラエル、アルジェ、リベリアカサブランカナミビア、ナイジェリア、南アフリカに及んでいる。その中で有名なものはパリのシャルル・ド・ゴール空港であり、Charles de Gaulle大統領の名前が冠されている。また、イタリアには数多くあり、ジェノバアメリカ大陸を発見したコロンブスにちなんでCristofaro Colombo空港、ピサは斜塔と重力の関係からかガリレオ・ガリレイGalileo Galilei)空港、ローマはイタリアの誇る最高の芸術家にちなんでレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)空港、ヴェネツィアは観光の都市らしくマルコ・ポーロMarco Polo)空港と呼ばれている。北米ではなんといっても有名なものはニュー・ヨークのジョン・F・ケネディー(John F.Kennedy 1917-1963 アメリカ大統領)空港や、シカゴのオハラ(Edward Butch O'Hare 1914-1943 海軍提督)空港、ワシントンのダレス・インターナショナル(John Foster Dulles 1888-1959 アメリ国務長官)、ブラジルのマナウスエドワルド・ゴメス(Eduardo Gomes 1896-1981 ブラジル空軍元帥)空港、キューバハバナはホセ・マルティ(Jose Marti 1853-1895 スペインよりの独立運動の指導者)空港等がある。これらの名前から考察すると、その国の代表的指導者、軍人、愛国者という系列と、その国の代表的芸術家、科学者、探検家という系列がある。
 かつては港がその国の表玄関であり、また文化の象徴である時代もあった。しかしながら、現在では国際空港が港に代ってその国の代表的な表玄関となりシンボルでもある。その国際空港に人名をつけようという背景には、その国の代表的な人物を強く人々に印象づけるという配慮のほかに、個人の尊厳と存在が裏づけられ、その個人の功績を顕彰しようという意図も感じられる。それに対し、わが国ではケネディーやド・ゴールに匹敵する人物の名をつけた空港はないし、ダ・ヴィンチにも匹敵する小堀遠州空港や千利休空港と呼ばれる空港もない。ガリレオがあるなら関孝和や平賀源内、コロンブスがあるなら山田長政伊能忠敬空港があってもよいのかもしれない。西欧の実例からいってこんな名前の空港があっても国際的には必ずしも不都合であるとも考えられないのに、わが国ではこのようなことが語られたこともなければ考えられたこともないと思う。それほどわが国では「個」は大きな都市空間の背景である「地」の中に吸収され、その存在は味噌汁の中に減却した大豆のように表情はないけれど、味わいと風味を残す程度に混在してしまうのである。
 芦原義信『続・街並みの美学』岩波書店(同時代ライブラリー)、1990年

ここに引用したのは1990年に出た同時代ライブラリー版だが、同書の単行本が刊行されたのは1983年である*1。その当時の状況とは日本も少し変わりつつあり、2003年には高知空港が「高知龍馬空港」と坂本龍馬にちなんだ愛称で呼ばれるようになったほか、福島空港についても郷土出身の野口英世にあやかり、愛称を「福島Dr.野口英世空港」とするよう署名運動が現在進められているようだ(参照)。
しかし、いずれも地方空港であり、国際空港の名前に人名を冠するという話はさすがにまだないようである。昨年開港した中部国際空港も結局、「セントレア」というセンスがあるんだかないんだかよくわからない愛称になってしまった。命名にあたって、地元・常滑市出身の世界的な企業の創業者の名前から、「盛田昭夫国際空港」にしようなどといった話は出なかったのだろうか。ま、トヨタが出資している以上、さすがにそれはありえないか*2。中部が「盛田昭夫国際空港」で、さらに関空が「松下幸之助国際空港」だったら、日本のイメージがますます勘違いされて愉快かなと思うんだけどなー。
成田国際空港もまた、一昨年東京からめでたく「独立」を果たしてようやく勝ち得た名称だけに、いまさら改名なんて話は出てこないだろう。しかし、あえてぼくは提唱したいのである。仮に成田国際空港に人名を冠した名前をつけるとすれば、「戸村一作国際空港」という名前こそふさわしいのではないか、と。
戸村一作は千葉県の富里に新空港の建設が決まって(ただしすぐに、住民の強い反対で、国有地である御料牧場の土地が使える成田へと変更される)以来、成田空港開港の翌年1979年に死去するまで常に空港反対闘争の中心にあった人物である。そんな人物の名を空港の名称に冠するなど空港側にしてみればもってのほかだろうし、空港に反対する側としても、空港側にかつて自分たちを先導した人物の名を使われることは心外だろう。
だが、この空港の建設には、政府が計画を強引に推し進めた結果、多大な犠牲を払うことになった(そしていまだに空港は未完成のまま)という事実を忘れないためにも、かつての反対闘争の指導者をその空港の名に関することには、いくぶんかは意義があると思うのだが……。
ちなみに、オサレ系文化人たちからの人気も高いドイツ・ミュンヘンのフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港は、計画立案から開港まで20年近くもの時間を要したが、その建設にあたっての合言葉は「成田を繰り返すな」というものだったという。
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なお、『ブルータス』の今回の特集は、この19日から開催されている「Omotesandou Future Airport―表参道国際未来空港―」というアートイベントに合わせたものらしい。以前、ぼくはこのブログで、成田空港は城壁都市だということを書いたことがあるが、大手デベロッパーによる再開発が各所で進行すると同時に、グローバル化やセキュリティシステムの徹底が進む東京という都市そのものが、国際空港と同様に「城壁都市化」、あるいは「要塞化」しつつあるともいえるのではないか。そう考えると、表参道を国際空港に見立てた今回のイベントは一種の皮肉にもとれないこともない……?*3
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成田空港といえば、2週間前に「NHKアーカイブス」枠で再放送されたNHK特集『24時間定点ドキュメント・成田空港』(1979年)はなかなか面白かった。
この番組ではレポーターとして、当時NHK入局二年目のアナウンサーだった(ということは当然、鹿内家に嫁ぐ前の)頼近美津子とともに、毒蝮三太夫が起用されていて、当時のNHKのドキュメンタリー(しかもNHK特集)にしてはかなりソフトなノリになっていた。たとえば、税関で収録当日押収されたポルノの山を前に、税関職員に向かって「これ、用が済んだらご自宅に持ち帰るんですか?」と冗談を飛ばすなど(職員は笑いながら否定していたが)、毒蝮節全開。
番組での一番の山場は、日本人女性と婚約したベトナムの青年が、カナダへ難民として亡命する弟と、燃料補給のため一旦着陸した成田で窓越しに一瞬ではあるが、十数年ぶりに再会を果たす場面だった。この場面からは、まだベトナム戦争終結してからわずか4年という国際情勢がありありとうかがえた。そういえば、この1979年という年は、中越戦争が勃発したり、内戦中のカンボジアから大使館員夫人が夫と子供を失いながらも日本に生還した年でもある。インドシナ半島はまだ戦火の真っ只中にあったわけだ。
ところで、この番組の制作の小野善邦という人の名前を見て、どっかで見覚えがあるなーと思ったら、ずっと積ん読したままになってる大来佐武郎の評伝の著者だった。

*1:芦原義信の例の文章が書かれた以後も、リバプールジョン・レノン空港やワシントンD.C.ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港というぐあいに、欧米では空港に人名を冠する例はあとを絶えない。

*2:去年、開港直後に空港内で「人間・盛田昭夫展」という展覧会が開催されたことはあるみたいですけどね。

*3:もともと表参道は代々木練兵場の敷地内にあり、滑走路として使われていたという(参照)。