「土・くらし・空港 「成田」40年の軌跡1966-2006」(成田国際文化会館)

千葉県成田市成田国際文化会館*1で開催中の展示会「土・くらし・空港 「成田」40年の軌跡1966-2006」(12月3日まで)を見にゆく。主催は財団法人航空科学振興財団 歴史伝承委員会。同委員会は、成田空港建設をめぐるこれまでの「負の歴史」を二度と繰り返さないよう、その伝承を目的に設置されたもので、空港側、空港に反対してきた側双方の当事者たちから証言や関係資料を集める活動を行なっている。今回の展示会は、成田空港建設が閣議決定してから40年の節目にあたって、これまでに委員会の集めた資料を一般に公開するべく企画されたものだ。
ここ数年、ぼくも個人的に成田空港をめぐる歴史について色々と調べていたものの、不覚にも今年9月にこの委員会についてNHKのローカルニュースでとりあげられているのを見るまでその存在をまったく知らなかった。ちょうどそのとき、11月の文学フリマに向けて自分なりに成田についてまとめるつもりでいたのだが、くだんのニュースで同委員会が展示会を予定していることも知り、ひとまずそれを見てからにしたほうがいいだろうと判断して延期したのだった。
で、いよいよ展示会がはじまったので見にいったら、「君の知らない 成田空港の歴史 すごいぞ」というポスターのキャッチコピーにたがわず、本当にすごかった。資料のなかには、空港用地の収用を知らせる電報とか、こんな細かいものをよくいままで取っておいたな(というか証拠物件として所有者は大事に取っておいたのだろうが)というものも多く、それらをじっくり見てまわっていたら、気がつけば2時間経っていた。いや、普通に見ても1時間はかかりそう。会場内には闘争の象徴であるドラム缶(空港予定地となった集落では反対派住民が、不審者の現われたときなどにこれを叩き鳴らして皆に知らせた)が復元されていたほか(来場者も実際に叩くことができる)、実際に闘争に際して反対派が使用したヘルメットや火炎瓶なども展示され、かつての激しい闘いに思いをめぐらされた。あと、ちょっと驚いたのは、成田闘争当時の雑誌を展示するコーナーに、『アサヒグラフ』や『毎日グラフ』などに交じって、空港予定地に住む小中学生によって結成された少年行動隊をグラビアでとりあげた『少年ジャンプ』が展示されていたこと。グラビアでこういう社会派のネタをとりあげるのは『少年マガジン』の専売特許かと思いきや、『ジャンプ』もやってたんですね。
展示会は今度の日曜までだが(土曜日には小川プロのドキュメンタリー映画2本の上映も予定されている)、会期がたった一週間だけというのは何だかもったいない。収集した資料をより多くの人に見てもらうためにも、ぜひとも伝承委員会の最終的な目標である常設展示の場を実現してほしいものである。
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ちなみにぼくが成田を訪れるのは、2002年に暫定滑走路の供用開始の直前に訪ねて以来、実に4年ぶりのことだった。今回の展示会場のある成田国際文化会館までは、そのアクセスを案内するページに、《成田山新勝寺方面へ街並み散策しながら歩いてくる事をお勧めします。(……)参道を下りますと成田山新勝寺の境内入り口へ。ここから文化会館までは、この境内を抜けて「平和大塔」方面をめざし歩いて下さい》などと書いてあったので、真に受けて駅から歩いてみたのだが……はっきりいって遠い。成田山近辺の起伏が激しいのでよけいにそう感じたのかもしれないが、目的地に着くまでにへとへとになってしまった。
なお、成田国際文化会館成田市の土屋という地区にあるが、ここにはイオンの巨大なショッピングセンターがある。イオンまでは京成成田駅から直行バスが出ているので、成田国際文化会館にもこれに乗るのが一番早く着く。といっても、4年前にはこの路線はなかった。その代わり、駅前から新勝寺門前を経由して土屋までいくつかの停留所に停車する従来の路線が廃止されたようで、帰りがけに以前利用したイオンよりも駅寄りの停留所からバスに乗ろうとしたら、もはや使われている気配はなかった。結局また引き返して、イオン敷地内にあったバス停から直行バスに乗って駅へと向かう。しかし、せっかくイオンの真裏には成田駅・成田空港間のJRの高架(この高架はもとはといえば、かつて計画された成田新幹線のためにつくられたものだが)が通っているんだから、新たに駅をつくればいいのにとも思うのだが、そうもいかないのか。

*1:今回の展示会の会場となった成田国際文化会館は、成田空港問題を解決するため空港公団(当時)と反対派の住民が初めて同じ席についたシンポジウム、それに続く円卓会議でも使用された“由緒正しい”場所でもある。