追悼・鈴木ヒロミツ

きのう、id:kokada_jnetさんからコメント欄で、4月からの新ドラマ『特急田中3号』のプロデューサーが磯山晶に決まったことを教えていただきました。
磯山晶といえば、昨年放映された昼ドラ『吾輩は主婦である』のプロデューサーでもありますが、同作の主人公である斉藤由貴の父親役を演じていたのは、きのう亡くなった鈴木ヒロミツでしたね。まさかこんなに急に亡くなられるとは……。
ところで、鈴木ヒロミツの訃報に接して、まず↓このCM↓を思い出したのは、速水健朗さんの『タイアップの歌謡史』を読んだばかりだからでしょうか。

このCMを演出したのは、伝説のCMディレクター・杉山登志。石油会社のCMなのに、ガス欠のクルマが出てくるところといい、「のんびり行こうよ」という歌(歌っているのはマイク真木)のフレーズといい、いま見ても過激ですね。ちなみに、日本をはじめ先進諸国を石油危機が襲うのは、このCMの放映の二年後の1973年(杉山が自殺した年でもある)。そう考えると、ある種の予感めいたものがこのCMにはあらわれているようにも思われます。
さて、鈴木さんには熱烈な中日ドラゴンズという一面もありました。くわしくは、中日スポーツの訃報記事に書かれています(ウェブ魚拓)。私、お母さんが名古屋出身というのは初めて知りました(それにしても、この記事には《1985年4月から88年3月まで東海テレビの「スーパードラゴンズ!!」の司会を(……)務めた。(……)87年に星野仙一監督が就任し、パ・リーグ三冠王落合博満選手(現監督)が入団して2位。番組を降板した翌年、3度目のリーグ優勝を果たした》と書かれていますが、鈴木さんの番組降板の翌年といえば1988年。ということは、この年のリーグ優勝はドラゴンズにとって3度目ではなく、4度目の優勝ですな。中スポがこんな間違いしとったらあかんがや)。
ところで、ドラファンでロッカーというと、1999年にドラゴンズがセ・リーグ優勝を果たしたのを見届けてから、壮絶なガン死をとげた池田貴族が思い出されます。同じくドラファンのロッカーには忌野清志郎がいますけれども、彼が昨年、ドラゴンズが快進撃を続けるさなかに、ガンで入院したと聞いたときには、一瞬、池田貴族のことが頭をよぎり、悪い予感を抱いたものです。幸いにも、キヨシローは快方へと向かっているようで安堵していたのですが、そこへ来て、今回の鈴木ヒロミツの訃報、それもガンによる死去ということで、またいやなジンクスめいたものを感じてしまいます。