僕は天使ぢゃないよ

早朝、近所を散歩していたら、川面に二羽の鴨が泳いでいるのがふと目にとまった。それもよく見ると、彼らはわざわざ川の流れと逆方向に泳いでいる。しかし流れにさからって泳ぐのにもそれなりの理由があるようで、泳ぎながら彼らが水中でくちばしを何やらパクパクさせる様から察するに、どうやら流れてくる餌を狙っているらしい。わざわざ水の流れとは逆方向に向かいつつ、餌にありつく――ハッ、これはまるでおれじゃないか。一見すると時代の流れに逆らっているようだが、実際には流れてくるものの中に餌を求めて、とりあえず口を開けて待っているだけ……よーするに時代のおいしいとこどりか! そのわりには全然食えてないけど(泣)。
しかし時代の流れにあらがい、現在や未来に背を向けるというイメージは何かで読んだことがあるなー、と思い出してみたら……あ、ベンヤミンか。彼は自らが私蔵していた「新しい天使」と題されたパウル・クレーの版画に、「歴史の天使」の姿を見た。顔を過去のほうに向けた天使は、楽園から吹きつける嵐を受け背を向ける未来へと押し流されていく。《私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ》*1ベンヤミンはいう(「歴史の概念について」IX)。
あまりにも強い嵐に翼を閉じることすらできない「歴史の天使」の姿を思い浮かべると、とてもぼくは天使になれそうもない。どうやらぼくには穏やかな水の流れに逆らいながら、必死にくちばしを開けて餌が来るのを待ち続ける鴨のほうがお似合いのようだ。せいぜいフォアグラにならない程度には、餌にありつきたいと思う。

*1:浅井健二郎訳、『ベンヤミン・コレクションⅠ』ちくま学芸文庫