掲載した画像は、上段が和気清麻呂(旧10円札の肖像)と木戸孝允の肖像、下段が藤原鎌足(旧100円札・200円札の肖像)と松方正義の肖像である。和気清麻呂と木戸孝允、藤原鎌足と松方正義がなんとなく似てるような気も……。
まあ、それもそのはずで、紙幣に用いる和気清麻呂と藤原鎌足の肖像を依頼されたキヨソーネは、それぞれ木戸と松方の顔をモデルにしたんだそうな。以下、柏木博『カプセル化時代のデザイン』(晶文社、1988年)所収のエッセイ「お札のイコノグラフィー」より引用。
一八八四年(明治十七)、兌換銀行券条例が出され、日本銀行券が発行されることになり、再び(引用者注――キヨソーネ画の神功皇后の肖像が用いられた明治政府発行の紙幣に続き)紙幣に使う肖像の人物をめぐって議論が行なわれることになった。(中略)その結果、松方正義の提案で、日本武尊、武内宿禰、聖徳太子、藤原鎌足、和気清麻呂、坂上田村麻呂、菅原道真に決定した。そして、その原図はいずれもやはりキヨソーネが製作にあたった。「日銀券にのせる肖像製作の命を受けたキヨソーネは、日本史で各人の事蹟や人物を研究し、風貌を脳裏に描いてから、それに似合う実在の人物を探した。藤原鎌足は松方正義、和気清麻呂は木戸孝允ということだ。武内宿禰は某大審院判事」にそっくりだったと日銀理事だった君島一郎は述べている(「学士会会報」一九七三年一月号、刀祢館正久『円の百年』所収)。
なお、その後、和気清麻呂の肖像も、藤原鎌足の肖像も、新たな紙幣が発行されるたびに用いられることになるものの、敗戦ののちには、深刻なインフレを克服するため実施された新円切替という大変動のなかでその姿を消すことになる。