ダニと脚気、あるいは孫と祖父

別サイトで、物故者についてのページを運営しているため、訃報を知り気になった人物はいちおう調べてみることにしている。先日21日に亡くなった森樊須(はんす)という応用動物学者にも少し関心が湧いて、ためしにJapan Knowledgeで検索してみた。すると、見出し検索ではヒットしなかったものの、全文検索で11件ヒットがあった。すべて小学館の『日本大百科全書』の項目、しかも、オウトウハダニ、カブリダニ、カンザワハダニ、クロバーハダニ、サビダニ、ナミハダニ、ハダニ、フシダニ、ホコリダニ、ミカンハダニ 、リンゴハダニと、11件ともダニの種類の項目である。一体なぜに? 何ということはない、これらの項目の執筆者が森樊須だったのである。
このうち、カブリダニの項目で、森はこう書いている。

(……)植物にすむものが多く、ハダニ類に比べて行動が活発。ハダニ類を捕食する種類を含み、ハダニの天敵として有力視される。とくに地中海沿岸およびチリ原産のチリカブリダニは著名な天敵である。ケナガカブリダニAmblyseius longispinosusは日本全土に分布し、ニセラーゴカブリダニAmblyseius eharaiは西日本に多く、農作物や果樹につくハダニ類の自然防除に役だっている。近年、茶園より、農薬に抵抗性をもつケナガカブリダニが確認され、薬剤を散布する農作物において、天敵を利用する研究が進められている。
[森 樊須]

実は、文中解説されている、害虫であるハダニを農薬ではなく、天敵のカブリダニを利用することで駆除するという方法(「自然防除」のほか「生物農薬」とも呼ばれているらしい)の研究を進めていたのは、ほかならぬ森自身だったのだが(参照*1)。
さて、Japan Knowledgeに続き、今度はグーグルで検索をかけてみると、さらに意外な事実を知った。作家の谷村志穂の大学時代の指導教官が森だったというのである。

上記サイトは、福岡のさる高校で谷村が行なった講演を記録したものである。そのなかで、こんなエピソードが語られていた。

(……)なんとか北海道大学農学部の応用動物学講座という野生動物の生態を研究するところに入ることができました。サルとかヒグマとかエゾシカとか、いろいろな生き物がどんなふうに行動しているかを森の中に入ってキャンプしてそれを観察するというところなんです。本当はそのまま大学院に入って動物の研究をしていくつもりだったんですが、いざ大学院に進もうとした時、担当教官に呼ばれて、「谷村さん、あなたは科学者には向いていないと思います。あなたの論文は面白いけれど、論文が面白いのは科学者に向いていることではありません。本来、実証すべき事実の積み重ねをすっとばして文章の力で表現しようとしてしまう。それは決定的に科学者には向いていない資質なので諦めてください」と言われたんです。
 これにはとてもショックで、どうしたらいいんだろうと思ったんですが、これも人生の不思議なところで、それを言った私の教授というのは森樊須先生といって森鴎外の孫なんです。その森先生が、「あなたどうせだったら作家にでもなったらどうですか」と、非常に無責任に言ったんですね。まさかその後本当に私が文章を書いてこんなふうに本を出すなんて思わなかったでしょうけれど、私が最初の本を出したときにはすぐにお祝いに駆けつけてきてくださって、モンブランの万年筆と、森家に代々伝わっている『森鴎外全集』を全巻お送りいただきました。いまでも応援してくださって、感謝しています。

これまであえて触れなかったが、谷村が紹介しているように、森樊須は森鴎外の孫にあたる人物である。父親は、鴎外の長男で解剖学者だった森於菟(おと)。樊須はその四男にあたる。ちなみに、先月31日には、於菟の次男で、樊須の兄にあたる解剖学者の森富(とむ)が亡くなっている。
それにしても、森が学生時代の谷村に告げた言葉は、学者と作家の違いを考えさせて実に興味深い。学者の研究が「実証すべき事実の積み重ね」だというのは、自然科学にかぎらず、おそらく社会科学や人文科学でもいえることだろう。
ついでにいえば、森の「本来、実証すべき事実の積み重ねをすっとばして文章の力で表現しようとしてしまう」という言葉は、祖父の鴎外に向けられたものでもあるように思われてならない。
陸軍医学校教官であった鴎外が、軍隊内で患者が急増していた脚気について、細菌による伝染病説を主張したことは有名である。海軍では海軍省医務局長(のち海軍軍医総監)の高木兼寛の発案で、パン食や米麦混合食が採用され、死亡者を減らすことに成功したが、鴎外や彼の上官だった陸軍軍医総監の石黒忠悳(ただのり)たちは、高木の研究を科学的根拠がないとして認めなかった。その結果、陸軍では白米食が押し通され、日清・日露戦争でも多数の兵士が命を落とすこととなった。
鴎外の細菌感染説は、たしかに科学「的」ではあったが、実証にもとづいたものではなかった。むしろ彼が科学的根拠がないとしりぞけた高木の研究のほうがよほど実証的であり、事実をよく見ていたといえる。脚気への見解にかぎっていうなら、まさに「実証すべき事実の積み重ねをすっとばして」、自らが納得できるいわば物語をでっちあげてしまった鴎外は、科学者には向いていなかった、といわざるをえないのではなかろうか。
……と、樊須の言葉を我田引水して、軍医としての鴎外をあっさり断罪してしまった。もちろん、樊須が科学者としての鴎外についてどのような見解を持っていたか、ぼくは知るよしもない。
しかし、日本の近代化のため、西洋から科学知識や技術を躍起になって取り入れざるをえなかった祖父と、おそらくは科学万能主義への反省もあって、農薬を使わない「自然防除」という方法にたどりついたであろう孫は、科学者としてはやはり対照的な立場にあったと思う。