朝飯を食いに外出する際、ここ最近だらだらと読んでいる小田中直樹の『歴史学ってなんだ?』(PHP新書)をジーパンの後ろポケットに突っ込む。が、いざ取り出してめくったら、全然違う本だった(ブックカバーがかけてあるのでちっとも気づかなかったのだ)。それも今年になって講談社学術文庫に入った『昭和天皇語録』(黒田勝弘・畑好秀編)という本だ。尻のポケットに入れてたなんてことが知れたら、世が世なら不敬罪だろう。そういえばあしたは昭和天皇の誕生日だった。なんという偶然。
昭和天皇については以前わけあって関連本を集めていたことがあって、語録に類する本だけでも4〜5冊は持ってるだろうか。たとえば『天皇陛下の会話集』という1982年ぐらいにごま書房から出た本には、伊東を訪れた際の「ハトヤというのは、どこだ」*1といった天皇のテレビ好きの一面があらわれた一言などが載っていて面白い(たしかこの本はどっかのブックガイド本で、常盤響がしまおまほに薦めていた記憶がある)。そうした雑学本的な、言葉が時系列で並べられてもいないわりといいかげんなつくりの本がある一方で、天皇の死後、小学館から出た『昭和天皇発言録』(高橋紘編)は、大正天皇の摂政となった皇太子時代の1921年から89年に亡くなるまでの発言を網羅しており、まさに語録の完全版である。終戦の詔勅の全文など公式での発言のみならず、終戦直後に『改造』に寄せた何首かの歌が好評で、その後いくつもの雑誌から歌作の依頼が殺到したため、思わず側近に漏らしたという「そう方々から頼まれては、ヒロポンの注射でもしなくては」などといったプライベートでの発言も掲載されていて、発言で昭和天皇の生涯をたどるという構成となっている(いまでは絶版になってしまっているようだが、ぜひ小学館文庫あたりで復刊してもらいたいものだ)。
『昭和天皇語録』の構成もほぼこの『昭和天皇発言録』と同じで(ただし『語録』のほうは天皇践祚から始まっている)、そもそも企画としては1974年に『天皇語録』というタイトルで刊行された前者のほうが先である。今回出た学術文庫版のあとがきによると、74年当時、まだ天皇の「語録」をつくることは一種のタブーであったといい、編者の名前も変名で刊行されたという。その意味ではこの本は画期的なものであったのだろう。その後、86年には講談社文庫から増補版が出され(この時には編者の名前も実名で記された)、それから18年を経て講談社学術文庫のラインナップに加えられたわけだが、しかしなぜか収録された発言は前版と同じく昭和60年まで。どうして逝去までの発言も新たに入れて完全版としなかったのか少し気になる。
その『昭和天皇語録』を、冒頭に書いたように今朝方たまたま手にしたら、開いたページに「これではまるでむかしの幕府ができるようなものではないか」という言葉を見つけた。これは大政翼賛会の発足を報告した総理・近衛文麿に対する批判の言葉なのだが、ほかのページにも「近衛がとかく議会を重んぜないように思われる」「近衛は少し面倒になるとまた逃げだすようなことがあっては困るね。(略)真に私と苦楽を共にしてくれなくては困る」などといった発言が紹介されていて(いずれも出典は『木戸幸一日記』)、天皇が近衛文麿にはかなり手厳しい態度をとっていたことがうかがえる。この本には載っていないが、たしか昭和天皇は、終戦後近衛が戦犯として逮捕されるのが決まりすぐ服毒自殺したという報を受けて、「近衛は弱いね」という一言も漏らしていたはずだ。
昭和天皇は戦前も戦後も――そう、たとえ憲法が変わろうとも――一貫して立憲君主制の体現に務め、政治には極力口出ししなかったとされるが、時折こうして時の政権担当者に対し指摘や批判の言葉を発していて興味深い。きっと天皇の批判は相手にはボディブローのように効いたことだろう。田中義一などは関東軍による張作霖爆殺事件をめぐり天皇に激怒されて総理を辞職し、その直後にあっけなく死んでしまったわけだし(田中といえば、昭和天皇は田中角栄がきらいで、テレビに彼が出てくるとすぐに消したという話は本当かな?)。