「日雇い労働」か「肉体労働」か

ユリイカ』4月号の「ブログ・ガイド@2005」で、小川裕夫さんのブログ「たった一人のライター修行」(http://www.mypress.jp/v2_writers/writerism/)を紹介させていただいたのだが、それに対して以下のような指摘を小川さん本人から受けた。

話は逸れるが、今月号の『ユリイカ』にて私のblogが近藤正高氏に紹介されていることは、すでにこのblogでも書いた。ただ、少し気になったのは、私の日雇い労働について「肉体労働」と形容されていることだった。というのも、私を含め、日雇い仲間の連中たちに肉体労働に従事しているという概念はまるでない。試しに5人ほどに聞いてみたのだが、うち2人はサービス業、さらに2人が怒られる仕事、もう一人は、なんだろうねぇ……と頭をひねっていた。私もこのblogで日雇い労働と書きこそすれ、肉体労働と書いたことはない。
 ―「たった一人のライター修行」4月4日付「たった一人の精神修行」 

同義語だと思って使った言葉でも、当事者には違和感を与えてしまうこともあるのだとまったくもって痛感させられる。
こちらとしても、小川さん本人が肉体労働という言葉を使わず、日雇い労働という言葉を使っていることは承知していた。しかし、紹介する文の中で日雇い労働という言葉を使うことにどうしても躊躇してしまったのだ*1。そこであえて肉体労働と言い換えたのだが、指摘を受けて改めて考えてみると、「肉体労働に対して、ライター業はあくまでも頭脳労働である」というぼくの無意識のうちの驕りみたいなものが、こんな言い換えをさせてしまったのではないかという気もしてくる。ここは、思い切って「日雇い労働」とカッコ書きにしてでも用いるべきだったかもしれない。
ところで、小川さんは前述の文章に続けて、以下のようなことも書かれていた。

まぁ、もっとも近藤氏の文章を読むと私のblog紹介に続けて、≪同様のことは肉体を使った職業の極致ともいうべきAV女優たちの〜≫となっているので、まぁ私のことは枕なんだろうけど。

いや、「枕」という意識はまったくなかったのだけれども、「実存」というカテゴリーの中で複数のブログを紹介しようとしたら、結局ああいう文章の流れになってしまった。もう少し紙幅(およびライターとしての技量)があれば、小川さんのブログについてももっと言及したかったところである。たとえば、マンホールについての文章などうまく織り込むことができたらよかったのだが。
ともあれ、小川さんの活動にはブログを通じて今後も注目していきたい。3月31日の日記では、《今回の紹介は、近藤氏なりの“売れないライター”への温かい支援だと思うことにしよう》などと書かれていたが、むしろぼくのほうが小川さんの文章によって励まされることが多いのだから。目下準備中だという路面電車の新書のほうも楽しみにしています。

*1:同様に、このあとの「乞食blog」を紹介する文の中でも、地の文で「乞食」という語を使うかどうか躊躇し、結局「ホームレス」の語を用いることにした。