今週の『NHKアーカイブス』のメニューは、1968年放映の大河ドラマ『竜馬がゆく』第16回と、1978年放映の『ルポルタージュにっぽん』「おとこ東大どこへ行く 〜10年目の東大全共闘」。この組み合わせを番組表で見て、「おっ、テーマは〈68年革命〉か」とすぐピンと来た。
1968年に起きた東大闘争を10年後に振り返った後者はともかく、前者はちょっと違うのではないかと思われるかもしれないが、いやいや、それが、『お前はただの現在にすぎない』(萩元晴彦・村木良彦・今野勉著、田畑書店、1969年)*1というあの当時出たテレビ論集なんかを読むと、いまや(いや、当時も?)どこか保守的なイメージがあるNHK大河ドラマですら、時代の渦に巻き込まれずにはいられなかったことがよくわかる。
同書の第1章では、この年、1968年の3月10日に起きたいわゆる「TBS成田事件」*2について、その経過をドキュメントで追うとともに、事件の当日、あなたは何をしていましたか? という著者からの質問に何人かのテレビ関係者が答えているのだが、そのうちの一人、当時NHKのディレクターだった和田勉はこんな証言をしている。
和田 三月一〇日? ……あのね、カメラ割りやってるな。
―― 「竜馬」の?
和田 「竜馬」の。朝の七時から午後一時まで。
―― 自宅で?
和田 自宅で。それから午後一時から二時半まで寝てます。それから二時半から、ざるそばの大盛喰って、五時四五分までカメラ割りをやって、自宅でね。カメラ割り一冊終わってる訳です。一七〇カット終ったと。それから午後の六時から八時まで銀座にいました。
―― 一五分で銀座に行くかしら。
和田 いやいや、六時に出発した訳ですね。……あ、日曜日だ。だから八時一五分に帰って来てる訳よ。「竜馬」視たわけ。そして飯を喰ってます。
―― それは和田さんの演出の「竜馬」?
和田 もちろんですよ。三月一〇日というと、あ、全然違う、人の奴だ。だから昼間したカメラ割りはぼくの担当の一回目、つまり第一六回。
―― 「竜馬」をみた感想は?
和田 これは(引用者注:日記に?)書いてないな、全然。
―― 覚えてる筈ですよ。
和田 うん、そりゃやっぱり演出家は誰だって同じだと思うんだ。自分がやったらもっと上手くやると。そいでさ、この日ね、格言風に書いてあるよ。
「あらゆる場合にベトナムを思え!」そして点々として、「ベトナムを思えば何でもない、これくらいは」と。
いうまでもなく、引用文中に出てくる「竜馬」とは、大河ドラマ『竜馬がゆく』のことである。そう、『竜馬がゆく』の演出(の一部)は和田勉が担当していたのだ。それもTBS成田事件のあった日、彼が自宅でカメラ割りをしていたと証言するこのドラマの第16回(劇中、坂本龍馬が脱藩を決意する回)は、きょう『NHKアーカイブス』で放映された回であり、これは現在NHKにテープが残る唯一の回だという。
ところでなぜ和田がこの日、「あらゆる場所にベトナムを思え!」などという格言を日記(だろう、おそらく)に書き記したのか、文中に特に説明はない。しかしこの時代がベトナム戦争の真っ最中であり、それに対して各国で反戦運動も盛んだったということを考えると、そんなフレーズがふと出てくるのもおかしくはないだろう。
ちなみに和田がこのフレーズを書き記してから2週間ほど後には、当時TBSの『ニュースコープ』のキャスターだった田英夫が同番組から突如降板している。その裏には、前年に田がベトナム戦争を取材したドキュメンタリー『ハノイ・田英夫の証言』が偏向報道だとクレームをつけられるなど、田およびTBSに対して政府筋からの強い圧力があったとされる*3。
さて、そんな68年という時代の雰囲気もあったのだろうし、もともと和田自身が前衛志向のディレクターだったということもあるのだろう、今夜ぼくが初めて見た『竜馬がゆく』も想像した以上に実験的なものに感じられた。
「アップの和田」と呼ばれた和田の演出作品の他聞に漏れず、このドラマもやたらとアップのカットが多い。しかもシーンとシーンとを人物の顔のアップでつなぐという大胆な手法が随所で使われている。たとえば、龍馬が脱藩を決意したことを姉の乙女に打ち明けるシーンで、龍馬の顔がクローズアップされたかと思うと、フッとカメラが引いて龍馬の向かい側にいる人物がいつの間にか乙女ではなく、彼に脱藩を勧める郷士に切り替わっていて、いったん回想シーンに入る。さらにそのシーンに一区切りがつくと、再び龍馬のアップになり、カメラが引くと彼の向かい側にはまた乙女がいて、本筋のシーンに戻ったことがわかる……という具合だ。もっというなら、人物のアップになると、マンガにおける「ジャーン」みたいな効果音がいちいち入ったりするのだが、こうした手法のどれもが前衛っぽい。正直いって、和田勉がこんなに前衛してたとは知らなかった(何せぼくらが物心ついたころには、和田勉はすでにNHKをやめていて、ダジャレ好きの単なる面白オジサンとしてテレビに登場していたのだから)。事実、さっき紹介した本の中でも、当時大阪の朝日放送のディレクターだった沢田隆治が、《和田勉の「竜馬がゆく」を、大衆は保守的だから、視聴率はとれないだろうと言った》ことが記されている。
1968年といえば明治百年の年であり、政府はそのことを盛んに喧伝したが(10月には政府主催の記念式典が行なわれている)、おそらく『竜馬がゆく』もそれに合わせて企画されたものだろう。しかし、そんな局側、あるいは体制側に対して和田勉は、あえて前衛的な手法を用いることによって、ささやかな抵抗を試みていたのではないか? ふと、そんな気がした。
*1:ぼくが最近、古本屋でたまたま見つけて買ったこの本には、なぜかゴダールの『中国女』がアートシアター新宿文化(当時の前衛映画・演劇の牙城で、三島由紀夫自作自演の映画『憂国』や、蜷川幸雄の初演出作品『真情あふるる軽薄さ』が上演されたことでも知られるあの!)で初公開された際の半券が挟み込まれていて、本書の内容以上に時代の匂いを感じてしまった
*2:成田空港反対闘争を取材中のTBSクルーが、反対派の女性7人をプラカードとともにロケバスに乗せたところ、警察の検問でプラカードについている角材が凶器として押収された事件。これに対し、報道の中立性をめぐって議論が起こるとともに、TBSは取材者と報道局長にそれぞれ無期休職、降格の処分を下し、さらには社長も辞任した。
*3:なお、この問題をはじめ、先述の成田事件や労組と会社側とのあいだに起こったTBS闘争など騒ぎが相次いだTBSから、その後1970年に田は退社、また同年には『お前はただの現在にすぎない』の著者である萩元・村木・今野も退社し、3人は番組制作会社「テレビマンユニオン」を設立することになる。