『電車男』は寅さんの夢を見るか

先日、四ッ谷駅のホームに大きく『電車男』の看板広告が出ているのを見かけました。版元の新潮社がいかに同書の販促に力を入れているかがうかがえます。しかし一方で『電車男』に対しては、あんなもんネットの内容をそのまま紙に移しただけじゃねーか! という声も聞きます。実はかく言うわたしも、この本を初めて手にとった時は、「これは出版の敗北だ!」「ついに出版界もネット界の前にひざまずいて足を舐めてしまった」などと思ったクチです。しかし、ここは一つ、ポジティブに考えてみましょう。
現在、出版が斜陽産業になりつつあるということは厳然たる事実でしょう。たしかに今年は100万部以上売れたベストセラーも何点かあり、出版界全体でも少し書籍の売り上げが上がったとのニュースもありました(参照)。けれども、それはようするにトヨタなど大企業の業績が上がったがために全体としての景気も底上げされるのと同じで、一部のベストセラーを除けば本は売れていないことに変わりはありません。これはたしか関川夏央氏のコラムだったと思いますが、60年代の石炭、70年代の鉄、80年代の商社、90年代の銀行と同様に現在出版産業は斜陽を迎えつつあるのではないかといった主旨の文章を数年前に読んだことがあります。
斜陽産業といえば、メディアの世界ではかつて映画業界がそう呼ばれた時代がありました。テレビが各家庭に普及していった1960年代ぐらいのことです。当時、家にいながらにして見られるテレビは映画業界にとって脅威でした。それは現在の出版業界がネットに対して脅威を抱くのとどこか似ています。とすれば、ひょっとしたら、かつての映画とテレビとの関係から、今後の出版業界を考える上で何か参考になりそうな事例が見出せるかもしれません。
もう一度『電車男』に話を戻しましょう。『電車男』はネットから生まれた物語をそっくり書籍に移したものだということで、主に出版業界に従事する人たちから反発を買っています。では、かつての映画業界にそれと似たようなケースはなかったのでしょうか。そう考えてみて、わたしが真っ先に思い出したのはあの渥美清演じる寅さんが主人公の映画『男はつらいよ』です。『男はつらいよ』といえば、シリーズ映画としては世界最多の48作がつくられギネスブックにも認定された作品ですが、実はもとはといえば映画ではなく、フジテレビで放映されたテレビドラマでした。このドラマが1969年に松竹で映画化される際には、映画界からは反発の声があがったといいます。「TV版寅さんサイト通信」というテレビ版『男はつらいよ』の研究サイトによると、当時の映画界にはテレビ界を低く見る傾向があり、『男はつらいよ』の映画化の企画がのちに同作の監督を務める山田洋次(テレビドラマ版では原案・脚本を担当)から出された時には、「テレビの二番煎じができるか!」「テレビで手垢のついたのをやれるか!」と一旦は却下されたそうです(上記サイト「そして映画版へ…」のページを参照)。しかし、ふたを開けてみれば、テレビ版のファンをも取り込んで映画は大ヒット。その後長寿シリーズとして、斜陽の映画業界にありながらその屋台骨を支える人気作品となったことは誰もが認める事実です。
それにしても、『男はつらいよ』の映画化の際の映画業界の反発は、現在の『電車男』の書籍化に対する出版業界の反発とよく似ていると思いませんか? さらに『電車男』はそんな反発を受けながらも書籍としてもヒット作となったこと、これも『男はつらいよ』と共通するでしょう。そこでわたしは思うのです。こうなったら『電車男』も『男はつらいよ』と同じく、シリーズ化してしまえばいいのではないか、と。しかしそこでとられるべき方法は、もはやネットの内容をそのまま紙面に起こすというものではありません。今度は出版の世界の内部で、ネットの方法論を取り込み自家薬籠中のものとした上で、新たに多くの人たちを惹きつける物語をつくり出していくべきです。もちろん、それは並大抵のことではないでしょう。そもそもテレビと映画は同じ映像メディアでありまだ共通点が見出せるのに対して、ネットと書籍ではまったく性質の違うメディアなので、テレビから映画へとうまくシフトしていった『男はつらいよ』のように行くとは限りません。しかし後続のメディアから学び、新たな本づくりの術を模索していくことこそが、斜陽化しつつある出版業界にふたたび活気を取り戻す鍵になるのだとわたしは信じています。書籍版『電車男』に何らかの可能性を見出すとすれば、そういうことになるのではないでしょうか。