“五千円札”と“千円札”の身長

樋口一葉は140cm台、写真・絵で身長を推定

 明治時代に活躍した作家・樋口一葉(1872〜96)の身長は、140センチ・メートル台前半だった可能性の高いことが、北里大学医療衛生学部の平本嘉助講師(解剖学)と山梨県郷土史家矢崎勝巳さんの研究でわかった。
 解剖学や統計学の知識を基に、写真や肖像画から推定する方法を考案し、算出した。
 2人は、山梨県立文学館などの文献に残る樋口一葉の写真を分析。当時の和服を調べ、一葉が身につけていた和服の襟の長さ(幅)が6〜6・5センチだったことを突き止めた。これを基にすると、一葉の上腕骨(二の腕の骨)の長さは25〜27センチになる。
 縄文時代から現代まで、男女の身長と上腕骨の長さにはきれいな相関があるが、時代の食生活とともに大きく変わる。平本講師は、一葉の時代に最も適する身長の推定式を選び、上腕骨の長さを入れると、身長は、140・9〜146・1センチと出た。
 文部科学省などの統計によると、一葉が亡くなった4年後(明治33年)の24歳女性の平均身長は146・1センチ。一葉はもっと大柄だったという資料もあったが、実は平均的な体格だったらしい。
 2人は、同様の方法で、戦国時代の武将、武田信玄長谷川等伯が描いたとされる肖像画をもとに、信玄の身長を約162センチと算出。室町時代の男性の平均身長157センチよりやや高いことがわかった。
 矢崎さんは「身長を算出することで、歴史上の人物がより身近になる」と話している。
 (2006年12月2日14時43分 読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20061202i406.htm

樋口一葉の身長を、解剖学や統計学の知識をベースに、写真や肖像画から推測したというお話。一葉が小柄な人だったというのは、先月、リニューアルオープンしたばかりの台東区立一葉記念館を訪れたときに、展示されていた一葉の着物(復元されたものだったが)からもなんとなくうかがえたけれども、いざこうして具体的な数字を出されると、そんな小さな体で一家の家計を支えていた(支えようとしていた)のかとあらためて感慨を抱いてしまう。
ちなみに、一葉記念館を訪れた同じ日には、新宿区大京町にある野口英世記念会館の資料展示室へも足を運んでみた。野口英世の場合、さすが医学者だけあってちゃんとその身体に関するデータが残っていて、そこの展示物である英世の着たという礼服の説明板によれば彼の身長は153センチだったという*1。これには、そんなに小柄だったのかとちょっとびっくりした。野口英世という人は、きっともともと負けん気の強い人間だったのだろうが、渡米して自分よりずっと背の高い白人の研究者たちのなかに飛び込んだことで、さらに強い闘志を燃やしたのではないだろうか*2。こんなふうに身長ひとつとっても、その人物の人生が垣間見えてくるのは面白い。

*1:さらにその説明によれば、体重は50〜58キロ、足の大きさは23センチだったとか。

*2:実際、研究のみならず、研究のあいまに仲間とチェスや将棋の対戦をしても、勝つまでやめなかったというから、そうとうの負けず嫌いだったのだろう。